尖閣諸島の写真と地図集


北小島写真


北小島の写真 目次
題  名
出  典
01 外務省文化局「尖閣諸島について」・昭和47年
02 <尖閣諸島文献史料編纂委員会>
03 海の写真館
04 <尖閣諸島文献史料編纂委員会>
05 沖縄の野鳥37頁、昭和58年
06 <尖閣諸島文献史料編纂委員会>
07 「空から見た尖閣諸島−魚釣島・北小島・南小島」
08 谷本たつや
09 田中邦貴「尖閣諸島問題」
10 日本青年社
11 日本青年社
12 日本青年社
13 日本青年社
14 九州大学・長崎大学合同調査隊報告書
15 九州大学・長崎大学合同調査隊報告書
16 高良鉄夫著「沖縄の秘境を探る」
17 高良鉄夫著「沖縄の秘境を探る」
18 よみうり写真館
19 よみうり写真館
20 よみうり写真館
21 尖閣諸島文献資料編纂委員会
22 九州大学・長崎大学合同調査隊報告書
23 高良鉄夫著「自然との対話
失われ行く海鳥 (写真ではありせん) 高良鉄夫著「自然との対話
24 尖閣諸島文献資料編纂委員会
25




北小島西北面の図
北小島の西北面・尖閣列島探検記事承前・536頁
地学雑誌・第12輯141巻7・明治33年09月









北小島01


北小島
外務省文化局「尖閣諸島について」14頁・昭和47年























北小島02



セグロアジサシのコロニー
北小島・尖閣諸島文献史料編纂委員会
























北小島写真03


北小島
海の写真館
http://members.jcom.home.ne.jp/3365869001/umi7.html#senkaku


















北小島04


北小島洞窟
尖閣諸島文献資料編纂会(尖閣諸島について・尖閣の島々2




















北小島05

セグロアジサシとオオアジサシの集団営巣−北小島、南小島、
沖縄の野鳥40・41頁、昭和58年






















北小島06



オオアジサシの群舞 北小島
尖閣諸島文献資料編纂会(尖閣諸島について・尖閣の島々2)
















北小島07


尖閣諸島−北小島
「空から見た尖閣諸島−魚釣島・北小島・南小島」より
http://www.gsj.jp/Pub/News/photog/1999/99_12_g1.pdf






















北小島08


谷本たつや−北小島

























北小島09

北小島・三尊岩  奥に見えるのは魚釣島
田中邦貴「尖閣諸島問題」より


















北小島10


北小島・三尊岩  出展:日本青年社






















北小島11


北小島  出展:日本青年社

























北小島12


北小島  出典元:日本青年社


























北小島13


北小島の灯台  出典元:日本青年社

















北小島14

南小島・北小島近景
写真:九州大学・長崎大学合同調査隊報告書(撮影昭和45年12月) 






















北小島15

パナマ船解体に従事した台湾人の住居跡
写真:九州大学・長崎大学合同調査隊報告書(撮影昭和45年12月) 





























北小島16


南小島から見た北小島(左方の台地はセグロアジサシの繁殖地)
出典:高良鉄夫著「沖縄の秘境を探る」

























北小島17


北小島の北部(×印はヘビの墓場)
出典:高良鉄夫著「沖縄の秘境を探る」




















北小島18
  
 尖閣諸島の南小島、北小島、魚釣島 本社機から
撮影日 1996年 10月 07日   
本文: 沖縄・尖閣諸島の南小島(手前)と北小島(中央)、
奥のかすかに見える島が魚釣島。  





















北小島19

19961007尖閣諸島。北小島のアップ。
本社機で(空撮)19961007
















北小島20

タイトル 沖縄・尖閣諸島の北小島  
撮影日 1977年08月03日  
本文 沖縄・尖閣諸島の北小島。(1977年8月3日)



















北小島21


セグロアジサシの群舞02 北小島
尖閣諸島文献資料編纂委員会(尖閣諸島について・尖閣の島々2)






























北小島22


南小島148メートル峰より北小島を望む
写真:九州大学・長崎大学合同調査隊報告書(撮影昭和45年12月) 


























北小島23


北小島に停泊地中の外国漁船(1968)
出典:高良鉄夫著「自然との対話

本文には「私ども調査船の図南丸が近づくと、多くの漁船は煙突からボンボン白い煙を吹かしながら去って行く。」と
ある。この時代台湾漁民は尖閣諸島が我が国の領土であることを承知していたのである。平穏なこの時代に明確な
意思表示をしなければならなかった。日本の政治家たちの言う専守防衛は事が起きてから動くというものに等しい。
事が起きる前に手を打っておくのが本来の防衛・外交である。今日の事態を招いたものは、戦後、或いは沖縄復帰
後の日本政府の防衛と国家と正義に対する自信のなさである。



出典:高良鉄夫著「沖縄の秘境を探る」(南小島)






高良鉄夫著「自然との対話」本文の記事より

失われ行く海鳥

 第四次調査から六年目、私が見た南北両小島の形相は、生気がなく、さらに変貌の一途をたどっている。南北 両小島間の水道には、およそ二〇隻の外国船が停泊しており、船の数は昭和三十八年五月と比較して著しくふ えている。多くは漁獲を目的とした漁船であるが、その中の数隻は、漁船の形はしているものの、甲板上には多く の卵カゴや鳥カゴを積んである。さきはど島の様子が怪しいと述べたことは、この漁船団と南小島に見られる人々 の動きなのである。

 私ども調査船の図南丸が近づくと、多くの漁船は煙突からボンボン白い煙を吹かしながら去って行く。どこへ行く のだろうか。行く先を見ると、ほとんどの漁船が黄尾島の方面へ進んでいる。鳥カゴを載せた漁船はイカリを下した まま。南北両小島を双眼鏡でのぞくと、漁夫が海鳥を乱獲しているのが手にとるように見える。

 南小島の北東岸に、大きな難破船が見える。その船は沖合いからながめると、まるで海浜のホテルに思えた。 私どもは南小島の北東岸に上陸した。台湾漁夫が船を解体している。聞くところによると、二年前に座礁した一万 トンのパナマ船のスクラップをとるために、約六〇人の作業員がテント生活をしているという。

 南小島の東低平地全面は、前に述べたように元来、セグロアジサシの群集地である。明治四十三年の写真を 見ると、およそ三十センチ置きに、それぞれなわ張りを守っており、それが低平地全面をおおいかぶせている。昭 和二十七〜二十八年にかけては、多くのセグロアジサシが見られた。しかし、昔ほどの壮観さはなかった。第五 次調査(昭和四十三年) では、様相がすっかり変わり、セグロアジサシの姿は全く見られない。低平地には明ら かに人間の通路跡が残されており、乱獲のはげしさを物語っている。南小島の北岸から双眼鏡で北小島をながめ ると、南小島同様に人間の通路があちこちに見られる。

 昭和二十八年の南小島の海鳥は、およそ五〇万羽と推定、昭和三十八年には三五万羽、昭和四十三年には 一万羽に激減した。人間が寄りつけない岩棚に生息しているものだけが危機をのがれているようだ。

 北小島の海鳥は、昭和二十八年には一〇〇万羽と推定、昭和三十八年には、およそ五〇万羽に減じ、昭和四 十三年の第五次調査では一〇万羽に減少した。


















北小島24


クロアシアホウドリ・北小島
尖閣諸島文献資料編纂委員会(尖閣諸島について・尖閣の島々2)

















グアノ(海鳥糞)や羽毛採取の拠点とした古賀商店跡(昭和14年)
季刊沖縄56号101頁











北小島−昭和43年琉球政府実施調査1-2季刊沖縄56号101頁










北小島−蒼天数十万の海鳥1-3季刊沖縄56号101頁







北小島−昭和43年不法操業の台湾漁船1-2季刊沖縄56号101頁












北小島:対岸の南小島を臨む
googleに掲載されていたpinacles氏の写真








北小島:貧弱な植物相
同上



























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