失われ行く海鳥
第四次調査から六年目、私が見た南北両小島の形相は、生気がなく、さらに変貌の一途をたどっている。南北
両小島間の水道には、およそ二〇隻の外国船が停泊しており、船の数は昭和三十八年五月と比較して著しくふ
えている。多くは漁獲を目的とした漁船であるが、その中の数隻は、漁船の形はしているものの、甲板上には多く
の卵カゴや鳥カゴを積んである。さきはど島の様子が怪しいと述べたことは、この漁船団と南小島に見られる人々
の動きなのである。
私ども調査船の図南丸が近づくと、多くの漁船は煙突からボンボン白い煙を吹かしながら去って行く。どこへ行く
のだろうか。行く先を見ると、ほとんどの漁船が黄尾島の方面へ進んでいる。鳥カゴを載せた漁船はイカリを下した
まま。南北両小島を双眼鏡でのぞくと、漁夫が海鳥を乱獲しているのが手にとるように見える。
南小島の北東岸に、大きな難破船が見える。その船は沖合いからながめると、まるで海浜のホテルに思えた。
私どもは南小島の北東岸に上陸した。台湾漁夫が船を解体している。聞くところによると、二年前に座礁した一万
トンのパナマ船のスクラップをとるために、約六〇人の作業員がテント生活をしているという。
南小島の東低平地全面は、前に述べたように元来、セグロアジサシの群集地である。明治四十三年の写真を
見ると、およそ三十センチ置きに、それぞれなわ張りを守っており、それが低平地全面をおおいかぶせている。昭
和二十七〜二十八年にかけては、多くのセグロアジサシが見られた。しかし、昔ほどの壮観さはなかった。第五
次調査(昭和四十三年) では、様相がすっかり変わり、セグロアジサシの姿は全く見られない。低平地には明ら
かに人間の通路跡が残されており、乱獲のはげしさを物語っている。南小島の北岸から双眼鏡で北小島をながめ
ると、南小島同様に人間の通路があちこちに見られる。
昭和二十八年の南小島の海鳥は、およそ五〇万羽と推定、昭和三十八年には三五万羽、昭和四十三年には
一万羽に激減した。人間が寄りつけない岩棚に生息しているものだけが危機をのがれているようだ。
北小島の海鳥は、昭和二十八年には一〇〇万羽と推定、昭和三十八年には、およそ五〇万羽に減じ、昭和四
十三年の第五次調査では一〇万羽に減少した。
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