日本政府は一貫して「尖閣諸島は我が国の固有の領土であり、領土問題は存在しない」というが、領土であることを
証明する為の努力は何もしない。精々海保の巡視船をだしているくらいのものだ。それも取り逃がして上陸させ、逮 捕しても拘留処罰できないで帰国させている。これは主権の放棄である。これでは世界は尖閣諸島に日本の主権行 為が完全に及んでいるとは認めない。つまり中国は世界に疑義を主張できるのである。中国がやっているのはまさ にそれで日本の根拠を破壊する意志をもっての行動なのである。
この右翼が建てた灯台の国有化も同じで、政府は本気で「尖閣諸島は我が国固有の領土」と考えていないから、裏
でこそこそと取引して右翼に放棄させて、表面は「(右翼が)捨てた灯台を取得しこれを運営しているだけ」などという 姑息な態度は堂々たる独立国家の政府の取るべき対応ではない。どうどうと「尖閣諸島は我が国固有の領土であ る」として奈良原岳(362メートル)の頂上に立派な灯台を造りこれを保守点検運営をするために常に海上保安庁の 職員を常駐させればよいのである。それが国内問題であるということだ。善行な国民には厳しく犯罪人や中国政府に はおどおどして、沖縄漁民を守れない我が国政府の態度は本末転倒でお粗末極まりない。
我が国は国際紛争を解決する為の戦争を放棄している。その我が国にとって、素早い行動、断固たる行動、国際世
界へのアピールと我が国の主張に対する賛意の獲得、これらに些かの粗漏もあってもならないことである。今の政府 の態度は我が国にとってあってはならない遺憾な姿勢である。
日本青年社のホームページにある写真を見ると岩に描かれた日の丸は彼らが描いたのであろう。日本青年社が灯
台を造った時から政府に所管が移るまで新聞・テレビ等のマスコミは一貫して右翼が造った灯台と言っていた。これ はマスコミ人の心に潜む劣等感と事なかれ主義を反映したもので、一部の飛び上がった日本人がやったことだ日本 人全体の意志ではないと言いたいのであろう。だがそこに大きな間違いがある。日の丸を描いたのは日本青年社で あるが、尖閣諸島は日本の領土であるという思いは日本国民の統一された意思である。勿論それこそ、尖閣諸島は 中国のものだと主張する跳ね返りの日本人はいる。代表的なのが井上清である。併しその根拠の奥にあるものは日 本帝国主義論に凝り固まった者か、国家の存在そのものを否定する者達であって、正に極く一部の人間の意思であ り、日本国民全体の意思ではない。日の丸を描いたのは右翼だと批判することで、尖閣は日本領土であるという事 実から逃げているのである。それは日本の針路を過たせる大きな原因となる。(現に2010年12月現在の時点で振 り返ると、領有権問題への日本国民の怒りをその時その時に中国・台湾に対し明確に示さなかったことが今日の混 乱の遠因になっていることは明らかである。)
ところでこの日の丸の下に何が描かれているかご存じだろうか。僕のうろ覚えの記憶では台湾人が描いた蒋総統
万歳の文字があったのである。それを海保はあわてて消したという記事があった。このことをマスコミは国民に伝えて いない。右翼が描いた日の丸だとしか書かない。間違えてはいけない。右翼に対する嫌悪感があるからと言って台 湾や中国の根拠のない無法な主張に同調することがあってはならない。右翼は国内問題、台湾中国の批判は対外 問題。一緒にしてはならない。国内では意見ことにしても、外国の圧力に対しては一致して当たるのが世界の常識 である。
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※「蒋総統万歳の文字」についての記事がありました。(管理人:平成23年10月10日)
【1970.09/18・八重山毎日新聞】
「尖閣列島。おうへいな台湾漁夫。わが物顔で平然と操業。救難艇ちとせ、国旗を撤去、蒋総統万歳消す、(現地ル
ポ)」
【おまけ】
1970.07/08・八重山毎日新聞・「『ちとせ』あすから台湾漁船の取り締り、与那国に常駐しない限り後絶えぬだろ
う。(パチクリ・チクリ)」
1970.07/09・琉球新報・「尖閣諸島に警告板、台湾漁民の侵入防止で」
1970.07/14・琉球新報・「不法入域防止めざす、尖閣諸島に警告板を設置」
1970.07/14・八重山毎日新聞・「尖閣列島。周囲は大小の台湾船の群。仮小屋を建て住む。海鳥と卵は減る
一方。警告板を建て一行帰る」
1970.07/15・八重山毎日新聞・「尖閣列島。第2 の『竹島』の恐れ。伊佐出入管理支所長の見方」
1970.09.05・沖縄タイムス・「尖閣諸島は国府に帰属。魏外相が議会証言。同諸島に晴天白日旗」
1970.09/13・琉球新報・「来月、“尖閣”視察へ、通産局長国府漁民の動き調べる。」
1970.09/16・八重山毎日新聞・「国府の国旗を撤去。尖閣列島の魚釣島から。琉球警察『ちとせ』で現場確認」
1970.09.16・琉球新報・「われわれの国旗がある、尖閣魚釣島。警本の退去命令に台湾漁夫が叫ぶ“魚はみんな
のモノ”」
1970.09.16・沖縄タイムス・「魚釣島に落書き、尖閣列島現地ルポ。警告を全く無視。台湾漁船、ゆうゆう操業」
1970.09.16・沖縄タイムス・「尖閣列島、“ここは沖縄、すぐ出なさい”警本救難艇が現地調査、漁船に退去命令、総
統万才のペンキも消す」
1970.09.16・沖縄タイムス・「“北風吹いたら帰るョ”動じない台湾漁夫」
1970.09/17・八重山毎日新聞・「撤去の国旗を那覇へ。取り扱いを米民政府と協議。『ちとせ』昨夜再び尖閣へ」
1970.09/18・八重山毎日新聞・「尖閣列島。おうへいな台湾漁夫。わが物顔で平然と操業。救難艇ちとせ、国旗を
撤去、蒋総統万歳消す、(現地ルポ)」
1970.09/18・琉球新報・「いぜん台湾漁船が操業。八重山署、尖閣列島を調査」
1970.09.18・沖縄タイムス・「9 隻の台湾漁船、魚釣島周辺、『ちとせ』再び尖閣列島へ出動」
1970.09.20・琉球新報・「尖閣列島海域を防衛。救難艇『おきなわ』を常置。来月中旬から出動、不法侵入取り締ま
る」
1970.09/27・琉球新報・「“石油戦争”はこれから、台湾、いぜん操業、近く日台間の交渉開始」
1970.09/29・沖縄タイムス・「列島周辺の警備を強化、新たに救難艇配置」
1970.10/06・八重山毎日新聞・「『ちとせ』の配置決定、八重山署管轄、尖閣列島のパトロール」
1970.10/16・沖縄タイムス・「救難艇『おきなわ』、最新装備で那覇へ入港」
1970.12.13・琉球新報・「動きとれない“海の守り”救難艇『おきなわ』予算、人手不足で巡視、救難業務に支障。燃
料もコト欠く状態」
1971.03.29・沖縄タイムス・「台湾漁船を取り締まる。尖閣列島を警戒パトロール」
1971.03/31・琉球新報・「近海に台湾の漁船?、琉大尖閣調査団、きょう魚釣島に上陸」
1971.07/08・琉球新報・「あと断たぬ台湾船。尖閣列島、『ちとせ』が退去させる」
1971.07.08・沖縄タイムス・「台湾漁船。巡視にもなれっこ。尖閣周辺で堂々の操業」
昨年(2004年)3月のシナ人上陸事件の結果、神社の鳥居が焼かれたとか、開拓者・古賀氏の顕彰碑が破壊され
たとも伝わっているが、政府はその詳細を未だに明らかにしない。
反対に、日本側も尖閣上陸を禁止するから中共側も出航を阻止してほしいという小泉・胡錦濤両首脳間の密約があ
るのではないかと巷間で噂される始末だ ないようだから、焼かれたということはあるまいが、いずれにしても日本人としては非常に不愉快である。
【誰が!?】魚釣島の碑に“中国領土”意味する落書き
沖縄県石垣市の尖閣諸島魚釣島への不法上陸事件で、県警は25、26日に実況見分し、開拓者顕彰碑の表面
に「中国の領土」という意味の文字が中国語で落書きされているのを発見した。
くぎのようなもので、刻まれていた。県警は、入管難民法違反(不法入国)の現行犯で逮捕した中国人7人の所持
品を調べたが、今のところ鋭利な物は見つかっていないという。
顕彰碑は政府から島を無料貸与された福岡県出身の古賀辰四郎氏をたたえたもので1978年に建立されたとされ
る。(読売新聞)
[3月27日21時0分更新]
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